youthful days

全然ユスフル感ない生活を送っています。たまに現れては好きなものへの愛を叫んで消えます

こんばんは。このブログ、一年に一度しか更新しないのかな?????というくらい更新頻度が低いのウケる(ぶっちゃけ存在を忘れていた)

 

えと、今日はただ目が冴えて眠れない&定期的にくるMr.Childrenへの愛が爆発する感情が訪れたので、ぶちかましに来ました。興味ない人はスルーしてください。。笑

 

2017.06.17。今年もなんとか参戦致しました。あ、一曲だけだがネタバレあるので嫌な人も今のうちに退散して下さいませ。今回どうしても私が書きたいのはその曲の中で桜井和寿が語った言葉なので。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これだけ行間を開けたら間違えて読むこともないだろうか。。?

 

改めて、2017年、6月17日。大好きなMr.Childrenに会いに行きました。

今年一番大切なイベント。楽しみで仕方がなくて、何も手につかないくらい朝から晩までずっと考えてた。

 

最初に書いた通り、私が書きたいのはその日のネタバレではなく、ある曲の中で語られた言葉。

 

1999年、夏、沖縄 。始まった時は、「あぁ、この曲、死ぬまでに聴きたいと思ってた」。そんなことしか考えてなかった。「やっぱりこの曲好きだな」なんて考えてたら、いきなり桜井和寿が喋り始めたんですよね。以下その内容。(もしかしたらちょいちょい違うかもしれない)

 

「そして2017年6月17日、札幌。

札幌楽しんでますか?

 

無事にこの日を迎えることができました。本当、どうもありがとう。気がつけば25年です。デビューした時、まさかこんな日が来るとは思っていませんでした。

僕らと同世代の人ならわかると思うけど、昔、ノストラダムスの大予言という予言があって。それは1999年に地球が滅亡するといった内容で。

僕はそれを都合よく信じていて。つまり、成人になって、やりたいことだけやって、ミュージシャンになって好きなことだけやって、そして1999年に地球が滅亡したらそれはある意味ラッキーだな、って思ってたんですけど。

1999年になって、2000年になっても地球は滅亡しなくて、さぁどうしよう、と思っているうちに、2002年が来て、それは僕らの10周年にあたる年でした。

今日と同じように、たくさんの人に10周年おめでとう、って言われたんですけど、その時はまだ若くて、素直じゃなかったし、どうせ今僕らの音楽を好きで聴いていてくれてる人もいずれはどんどん減っていって、離れてゆくものだと。そんな風に思っていました。

だから、10周年どんな気持ちですか、と言われた時も、『いやいや、ただ1日1日を懸命に過ごしているだけで、10周年ってただのレコード会社や事務所の話題作りじゃないですかね。』なんて、捻くれた考えをしていました。

でも、10周年を超えた後はほんとにあっという間で、今、25周年で、もうすぐ離れていってしまうと思っていた、僕らの音楽を聴いてくれる人、ライブに足を運んでくれる人が、未だにこんなにたくさんいてくれて、それは心から感謝だし、うれしいし、幸せに思っています。

でも同時に、自分がいつまでこうやって歌を楽しく歌っていられるんだろう、って、そんなふうに思うことも増えました。

同世代のミュージシャンや友人、近しい人が病気だったり、亡くなってしまったり。だから、だからこそ尚更、今こうやって演奏している時間、みんなとこうして、Mr.Childrenとしていられる時間を心から嬉しく、愛おしく感じています。

そして10周年の時とはまた違った意味で、1日1日を、一曲一曲を、ひとつひとつのフレーズを大切に過ごして行きたいと思っています。

本当に今日はみなさん、どうもありがとう。」

 

私、号泣。ライブでは毎回泣いてる気がするけど、もう全然そんなレベルじゃない。

買ったばかりのタオルが一瞬で死んだ。(帰宅して真っ先に洗濯機にブチ込み蘇生させました)

 

桜井和寿はいつも、ライブの中で、何度も何度も「ありがとう」と言う。それを聞くたびに私は、「それはこっちのセリフだ」なんて思っていた。なんならなんとか感謝を伝えたくてライブに足を運ぶのに、圧倒的に言われる数の方が多い。たまにメディアに出れば、当たり前だけど絶対に手は抜かないし、誰よりも長くお辞儀をする。何年経っても、この人の音楽に対する姿勢は誰よりもストイックだし、本当に真っ直ぐで歪みなくて、純粋で美しいな、と思う。ファンが「いつか離れていってしまう」なんて、そんな筈は無いと言いたい。桜井和寿桜井和寿である限り、Mr.ChildrenMr.Childrenである限り、簡単に離れてなんて行けないのに。少なくとも私はそう。

最近本当に思うけど、何かに対して真っ直ぐであることは本当に素敵なことだと思う。とても眩しい。

1日1日を懸命に過ごしているだけ、と言うけど、それがどんなに難しいことか。。

桜井和寿は天才、という褒め言葉をよく聞くけれど、実は私はそうは思っていない。というより、「天才」という言葉ひとつで片付けることができない。この人を作り上げた努力や苦悩、経験全てを一言で片付けてしまうことができない。ちなみにいつかメンバーが「誰よりも音楽を愛する天才」と紹介したのは、誰よりも音楽を愛する”天才”ではなくて、誰よりも音楽を”愛する天才”だと勝手に解釈してる。(伝わらない)

 

そして、あと何年歌えるかな、っていう話を聞いた時、大好きなバンドと同じ時代に生きられることは当たり前じゃなくて、奇跡だよなって改めて思った。そんなことは常々自分に言い聞かせていたはずなのに、いつの間にか彼らと同じ時代に生きていることが当たり前のように感じてしまっていたから。だからこそ、その言葉を聞いてとても怖くなった。もうきっと彼らがいなくても平気で過ごしていた時代には戻れない。頼むから200歳くらいまで活動してくれ。無理か。この先もずっと同じ時代に共に生きて行きたい。

 

 あと、ライブのアンケートは毎回ラブレターみたいになってるんだけど、桜井和寿はアンケートは全部目を通すらしくて爆死しました。

でもまあ、どんな形であれ、私の言葉が彼らに1ミリでも届くならもうこの世に未練はありません。成仏。

 

私の小さな世界の全てで私の神様。この先もずっと健やかに、やりたいように音楽をやって、たくさんの幸福が降り注ぎますように。f:id:youthful39:20170816040849j:image

 

ライブで桜井和寿が近く来るたびに全力で目そらす癖、我ながら超きもいからそろそろ治したい。

 

酔っ払いそろそろ寝るね。最近カラスがうるさいのはどうにかならないのかね。おやすみ。

 

彼らが好きだという話

 

ほぼ2年ぶりになりますが、Twitterでは当然ですが文字数がオーバーしてしまうので、久しぶりに使おうと思います。

 

今日、9月30日は、Mr.Childrenのホールツアー帯広公演でした。去年は未完の後のZeppツアーに行けなかったので、一年ちょっとぶりかな。

 

私は毎回、ライブの前に必ずアルコールを胃袋へ入れます。何故なら、シラフで会うのが怖いから。精神安定剤のような使い方をしていますが、これだけは言わせてください。まだアル中ではありません。笑

でも今日は車移動なのでそうはいかなくて。ものすごく久しぶり(恐らくスパファンぶり)にシラフで参戦して来ました。

 

結果、もう気が気じゃなかった。緊張しまくりで朝から具合悪いし、桜井和寿の一挙手一投足に「うわあああああ」ってなるし。(語彙力)

でも、逆に良いこともあって。頭がほわほわしないので、ライブ中でも考えごとができた。彼らに惚れ込んで11年?12年?の長い時のなかで、ずっと疑問だったことが少しスッキリしそうなので、今日はその辺を書きたいなァと思う。

 

彼らを好きになったのは小3のときだったと思う。それまでは正直、あんまり好きじゃなかった。というより多分嫌気がさしていた。母親が好きだったために、家でも車内でもMr.Children。もう聞き飽きたんスけど…って感じだったのかな。たぶんね。どのようにして好きになったのかは正直記憶にない。まあ毎日毎日聴かされてたから言い方悪いけど一種の洗脳みたいなものだと思ってる。

好きになってからはもう一直線。家にあるライブ映像を片っ端から観たし、ウォークマンを初めて買ってもらってからは真っ先に母のPCに入っているMr.Childrenの全楽曲を入れて暇さえあれば聴いていた。

でも私の生活に欠かせなくなったのは中学3年生の時に初めてライブに行ってからのように思う。SUPER MARKET FANTASY DOME TOUR 2009。12月5日の札幌公演。彼らの音楽に直接触れたあの日から。

 

でもずっと疑問だったことがあった。中学〜19歳くらいまで俗にいうサクライスト的なものだった私は、「桜井さんのどこが好きなの?」という問い掛けに対していつも答えを導き出せなかった。

Mr.Childrenの楽曲は、桜井和寿が歌わないと私の世界では全く意味を持たない。これは分かっていた。実際他の誰かが歌っても全く響かないから。それがたとえ本人より上手かったとしても。でも、好きな理由とはどうしても繋がらない気がして。

よく、好きに理由は要らない、と聞くけれど、私はそうじゃなくて、自分の好きなものに対してはどうしてもちゃんとした理由が欲しかった。なんとなく曖昧に好きでいるのではなくて。

それが今日、少しわかった気がする。まず腕が好き。あの丁度よさげな太さと少し焼けた色、手の血管の感じとかもう最高。あと歌ってる最中に時々掠れるのが色っぽくて好き。肩幅も好きだし、奏でるギターの音も好きだし、彼が創る楽曲は当然大好き。まあ、そういうことが直接的な理由ではなくて、そんなことより、私は桜井和寿の言葉ひとつひとつを愛してやまないのだと思った。発する言葉ってその人の生き様というか、環境だとか、哲学だとか、その人を取り巻くいろんなことが含まれてると私は思っていて、だからこそ何かを説明するにも語るにも、話す内容は同じでも、一字一句全く同じことを言う人なんていない。桜井和寿の言葉は、ひとつひとつが本当に心地よく響く。今日のMCを聞いてそんなことを思った。上手く説明出来ないのがもどかしいけれど。

 

話は変わるのだけれど、今月はなかなか大変な日々で。またそのうち書きたいなぁとは思ってるから詳しくは書かないでおくけど、精神的にしんどい時期が多くて。正直今月はいつも心の底から笑えなかった。今日のライブという楽しみがなかったらきっと毎日耐えられなかったんじゃないかと思う。今月はただただ彼らに会いたいがために日々を過ごしていた。そんな毎日だったから、今日だって心から楽しめるかものすごく不安だった。彼らが用意してくれた最高の夜を自分の勝手なネガティヴのせいで純粋な気持ちで楽しめないなんて最低の侮辱行為だと思うし、ただただそれが怖かった。けど、ライブが始まった瞬間、そんな気持ちは吹き飛んだし、やっと会えた嬉しさがこみ上げてきて無意識に涙が出た。彼らが用意してくれた夜、ようやく心から笑うことが出来た。改めて思ったのは、私の小さな小さな世界の全てはMr.Childrenが支配しているようなものだということ。ネガティヴだった私の感情を昂らせ、涙が溢れるのも笑みがこぼれるのも彼らのおかげだし、何より私の世界を彩るのはいつだってMr.Childrenの音楽とメンバーの笑顔と言葉、彼らに関係するものばかりだ。最初好きになれなかったのが嘘のようで、今ではなくてはならない存在。同じ時代を共に生きることが出来るこの上ない幸福を改めて実感した。こんなに大きな存在になるなんて予想もしていなかった。これからもたくさんお世話になるであろう彼らの存在の大きさを実感できて本当に嬉しく思う。いつだって私を救ってくれる彼らには何度感謝しても足りないくらいだなあと。

 

っていう思ったことをひたすら書き連ねただけの記事なのだけれどとてもスッキリした。おわり